死に至る病

面白いこと何も言えません

ゴジラ:キングオブモンスター感想


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 封切り初日(5.31)のレイトショーで初回観賞。とりあえず字幕版を選択した。

 混雑を見込んであらかじめ席を予約しておいたが、入りはそこそこといった感じだったので杞憂だった。

 今回のゴジラは「モンスター・ヴァース」という、世界観を共有した怪獣映画シリーズの第3作品になる(一作目/GODZILLA:2014二作目/KONG THE SKULL ISLAND:2017 )。 時系列的には一作目の直接の続編で、ゴジラとMUTOの対決から五年後の設定。

ゴジラの他にモスララドンキングギドラの往年の東宝怪獣が登場し、この世界における怪獣とは何か、ゴジラとは何かについても掘り下げられている。


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率直な感想

  1. マイケルドハティ(監督)万歳!

  2. 怪獣バトル万歳!

  3. ゴジラは真に怪獣の王だった!


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1. マイケルドハティ万歳!

マイケル.ドハティという映画監督のことは、今作の監督に決まった時点で初めて知った。

 どうやら相当なゴジラオタクらしい、ということはネットでも言われていたが、今作を観て良くわかった。奴はとんでもないゴジラオタクだ!(もちろん、映画に携わった他のスタッフにも沢山居るだろう)

ファンなら誰しも、個人的ゴジラ観、というか、思想があるものだと思うが、彼はその思想を強気な態度でもって、なお且つ調整に調整を重ねた、いわば「最大公約数」を提供してくれた。

ゴジラとは何か」という永遠のテーマに対して、新たな、そして興味深い「火種」を放り込みつつ、どのシリーズのファンも納得できる要素をふんだんに盛り付けている。(個人的には平成vsシリーズを色濃く感じた)

 

 そして随所に感じられる本家ゴジラへのリスペクト&オマージュも楽しい。何だか照れるぐらい散りばめられている。それらが全て監督の判断によるものだとは思わないが、オマージュのやりかたがガチ感ゴリゴリであった。是非探してみてほしいので、ここでは敢えて記さないでおく。何より、長くなりそうだ。

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2.怪獣バトル万歳!

今回の見所は何と言っても怪獣によるバトルだ。というより、怪獣そのものが見所か。

前作(GODZILLA :2014)は引っ張って引っ張って最後にバーン!という感じの印象。それも悪くは無かったが、いかんせんゴジラの登場時間が少なかった。監督を務めたギャレス・エドワーズいわく、スピルバーグによるJAWS(1976)のように、姿は見えないが確かにそこに居る緊張感、恐怖感を演出したかったとのこと。

それに比べて今作品は、魅せる魅せるまた魅せる、怪獣メガ盛りチョモランマという感じで、怪獣の出し惜しみは一切していない。

高クオリティ怪獣バトルの画を作るにはとんでもないカネが要るだろうから、海外資本の巨大さを痛感せずには居られない。果たして邦画にあれが可能か?いや不可能だろう。

そのくらいスケールのデカい戦いがそこにはある(もちろん、元祖ゴジラシリーズの特撮が優れていることは言うまでもないが)。

怪獣のデザインがまた良い。ゴジラは前作に比べ少し大きくなり(119.8メートル)、足が大きくなった他、背ビレの形状は初代ゴジラを参考にしたという。

モスラは本家に比べ、よりリアリティー溢れる造形に。体に対する翼の大きさが目を引く。今まで見られなかった鎌のような前足がつけられた。また、劇中では女性的なイメージを持たせるため、モスラには女性名詞が用いられている。

阿蘇山で目覚めた初代よろしく火山から登場するラドンは、体表が溶岩のようになっているのが印象的。かなり踏み切ったデザインだが、突風により街を破壊する等、従来のイメージを崩すことは無い。

そしてメイン敵怪獣のキングギドラだが、これほどカッコイイキングギドラを観られる日が来るとは思わなかった。東洋の龍、西洋のドラゴンのイメージをそれぞれ取り入れつつ、より現代的に、ハッピーなバランスで仕上げている。誰もが思い描くキングギドラ像から少しも逸脱していないにも関わらず、今までにないカリスマ性を感じさせる。

現在、CGによる怪獣はモーションキャプチャという手法が用いられることが多く、今作も例外ではない。簡単に言うと、実際の人間の演技(動き)を元にCGをつくる、いわば現代版着ぐるみの手法だが、このギドラは三本の首それぞれに個性を持たせるために、三人の役者を使って表現したというから驚きだ。


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3.ゴジラは真に怪獣の王だった!

初代ゴジラが公開されたのが1954年、その2年後にアメリカでの上映用に再編集されたゴジラは、GODZILLA,king of the monsters!と銘打たれ全米公開された。以降、それを直訳した怪獣王というフレーズがゴジラの肩書きとなったわけだが、今作品は、そんなゴジラが怪獣の王たらんことを、これでもかと強調する結末だった。

先述したように、ゴジラファンにはそれぞれのゴジラ観があるが、その共通解が「ゴジラは怪獣王」ということであり、決して揺らぐことの無い事実だ。

つまりこの映画は怪獣の、怪獣による、我々のためのゴジラ万歳映画だった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アパシーゴルファー

 6歳の頃、僕は父親の薦めでゴルフを始めた。これだけ言うと勘違いする人が多く、「ええとこの子なんやな」と、僕の育ちを過大に捉えられたことは一度や二度ではないが、そんなことはない。むしろ、我が家は決して裕福な方ではなかった。貧乏でもゴルフはできるのだ。

 

 とはいえ、父親の僕に対する期待と熱の入れようは半端ではなく、彼自身もまた、ゴルフというスポーツに心酔しているように思われた。親の心子知らずと言うが、父親のその期待や熱といったものは、当時大いに感じられた。こうしてゴルフクラブを握った僕は、二年目にはJGA (Japan  Golf Associats)の門戸を叩き、ジュニアゴルフ選手としての道をひた走ることになる。

 僕は県下でそこそこの強さを誇り、数々の表彰を受けた。それくらい、練習に明け暮れた。そして、ゴルフというスポーツと、その選手である自分を、僕はこの上なく嫌いだった。

 

 僕は現役を引退するまで、トレーニングをしない日はなかったが、それは強くなりたかったからではない。強くなりたいと、思ったこともない。だが、怖い怖い父親やコーチ陣に、「強くなりたくないのか」と怒号を飛ばされると、「いえ、強くなりたいです」と言う他無かった。どのスポーツもそうだとおもうが、ゴルフは精神力がモノを言う。僕は、練習場や自宅やジムで行うトレーニングも嫌いであったが、実践練習や試合のように、実際にコースをラウンドするのは尚更に苦悩した。

 自然環境の影響を多分に受ける状況下でプレーするゴルフは、集中すれば事の他体力を消耗する。芝目、風速、地形、傾斜、距離、天候、焦り...。全ての要素が僕を苦しめた。そして広大なコースを、重いゴルフバッグを担いで、一日かけてラウンドする。また、ゴルフというスポーツは結構エチケットや礼節にうるさいので、あまり素の自分ではいられない。それも煩わしい事この上なかった。今でこそ趣味として楽しめるようになったが、その頃はまさに苦悩の種でしかなかった。なまじ実力が伴っていただけに、予選を通過した時なども、ああ、また試合の予定ができてしまった...と、それを嬉しく思う気持ちなど微塵も無かった。僕を取り巻く環境が、努力が、全てが無意味に思えた。このスポーツさえしなければ...とすら思った。

 僕はスポーツニッポン主催の試合に、毎年出場していた。その試合は関西ブロックの予選を経て本選に進む、いわば全国へのキップとなる大会だったが、僕は全く楽しみにはしていなかった。試合の翌日のスポーツニッポンの紙面には予選通過メンバーが掲載され、予選を通れば親がスポーツニッポンを買うので、それをこっそり持ち出しスポーツ新聞特有のエロページを読むことだけが僕のやりがいだった。

 通常、ゴルフは数人のグループでラウンドする。その年の予選で一緒になった内の一人は、小学生ながらとんでもない体躯をしており、プレーも豪快そのもので、とんでもなく上手かった。そして彼は、公式戦であるにも関わらず、スコアラー(不正をしないか監視する役員)が見ていないのをいいことに、全ての指の間にタバコをはさみ、一度に4本のタバコを吸いながらプレーする通称「妖怪ニコチンコ」だった。彼はめちゃくちゃなプレーだが、心底楽しそうにゴルフをしており、僕はなんだかモヤモヤした。そして彼も僕も予選を通り、僕は無事、スポニチのエロページを拝むことができた。

 

 

 ある日、僕は三重県まで遠征に来ていて、次の日は近くで女子プロの試合があるというので、それを観戦するという日程だった。僕はあまり乗り気でなかったが、プロの試合を観るのはそうそうあることでは無かったので、少しは楽しみだったかも知れない。

 当時、女子プロ界は宮里藍選手や横峯さくら選手が規格外の強さで、様々なタイトルを獲っていた。僕は横峯さくらを観戦していて、なんでこの人はゴルフしてるんだろなと思ったりしていた。そうこうしてる間に試合は終わり、誰が優勝したのかすらも知らなかった僕は、遠征チームから離れ、もうすでに人が減って夕日の差し込むクラブハウスに居た。展望レストランからの景色を、綺麗だなあと思うのにも飽きてきたので、少し探検することにした。案の定迷子になった僕は、とりあえず外に出ようと、ロビーの裏口のようなところから外に出た。

 そこにはカート道と芝生があるだけで、人もあまりいない場所だった。

 僕は目を疑った。宮里藍が目の前に居た。キャディと何か話している。何故こんなところに、と僕は考えるより先に宮里選手に駆け寄り、なんと声をかけたかは覚えていないが、おおかたサイン下さいとでも言っただろう。

 彼女は少ししゃくれたアゴで気さくに、「ゴルフやってるの?」と僕にきいた。はい、やってますと僕は答えた。「そっかぁ、楽しいよね、ゴルフ」と言った。僕は、少しどきっとした。そして彼女は、「これ、さっきまで使ってたボール」と言って、A☆Iと書かれたボールを僕に手渡した。その後のことはよく覚えていないが、数分話した気もするし、もっと短い間だったかも知れない。

 そしてメンバーのもとに帰った僕のポロシャツには、大きく彼女のサインが踊っていた。それから何年か経って、僕は選手であることを辞めた。

 

 そして、宮里藍と話したあの日ほど、「好きこそものの上手なれ」という言葉の意味を、深く噛み締めた日は無かった。


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たばこ

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 多くの肉食動物は、生まれて日の浅い内から、兄弟や親を相手にじゃれ合って遊ぶ。まだ小さくて愛くるしい毛玉のような物体がころころと揉み合っている様子は、なんとも形容し難い可愛らしさがある。 
 しかしこれは来るべき自立の日に備え、遊ぶことによって狩りの訓練をしているのである。当の動物たちにその自覚は無くとも、積み重ねてきた狩猟種族の本能が、彼らにそうさせるのだ。
 ヒトにおいてもまた、本人に自覚はなくとも、少年期に興じる遊びというのは社会性を育むための、いわば訓練と言って差し支えないだろう。少年期に家という名の巣に込もって勉強ばかりさせていては、その個体の動物的能力が大きく損なわれると僕は思う。
 
 ただ、その訓練の内容が必ずしも理に敵っている訳ではなく(ちょうど、生き物を解体し磨り潰す行為のように)、むしろ、理に敵っている遊びなんぞはほぼ行わない。そして、その間違った、何の利益も意味もない行為というのは小学生の僕にとって、甘美な誘惑の坩堝だった。
 
 
 当時、川辺西小学校の校庭には、至るところに破けたコンドームが落ちていた。別に、小学生同士の青姦が流行っていたわけではない。
 僕たちのグループは、何処かで盗んできたコンドームに水道水をたっぷり入れて口を縛り、水風船として遊んでいた。
 普通の水風船は水を入れても、そんなに伸びはしないし、少し硬い気がする。それに比べコンドームは、想像のはるか上を行く、凄まじい伸縮性と柔軟性を見せる。目一杯水を入れたそれを掌の上に乗せると、まるで指の間からでろぉおっと漏れるような気がするほどだった。そして、先の一ヵ所だけピョコンと飛び出したような形状なのは何故だろうと、無垢な疑問を抱いたりもした。

 
 四年生の頃、僕たちは近所の橋の下を基地にしていた。
 その日僕たちは、下に流れている川で捕まえたモクズガニを、田んぼに重ねてあったワラで焼いて食べていた。火をつけられると言うことは当然、僕たちはライターというシロモノを所持しているわけで、ライターを所持しているということは当然、たばこを嗜んでいた。
 その日も、仲間の一人がポケットから、例によって何処かから盗んできたたばこをとりだし、僕を含めた他数名はそれぞれ一本ずつ手にとり、口に運んで火を着けた。
 たばこを調達してくる彼は下級生ながら信じられないほどのヘビースモーカーで、タバコの有害物質のせいなのか、その顔面の皮膚は怪しく黒ずんでいた。ちなみに彼の自画像は、白目が黒くて黒目が赤いという、並の感性では到底表現し得ない常軌を逸したもので、その背景に劣悪な家庭環境を想像せずにはいられない人物であった。
 
 僕はというとたばこに対する依存は皆無で、それは(下級生の彼は別として)他の者もそうであるはずだった。少年たちがたばこを吸うのは、誰からともなく発生する同調圧力と、大人に対する憧れとが混在した結果であり、たばこというツールを用いて自分たちの結束を確かめあう行為に他ならなかった。
 少年たちはしばしの間、自分たちだけの世界で恍惚を貪り、それぞれがそれぞれの巣に帰っていった。
 
 その日の夕方、家に帰った僕に母親が、「なんかケムリ臭いなあ」と言った。当然だ。大量のワラでカニを焼き食ったのだから。
 母はいぶかしげな顔をして、「お前、はぁーってしてみろ」と言った。
 
 まずい!焼きガニが墓穴を掘った。そう思った僕は、背に腹は変えられないと、これはタバコの匂いではなくワラを燃やした匂いなんだよと、必死の釈明をした。たばこを吸うよりも、カニを焼くことの方が罪が軽いはずだ。
 「いいからはぁーってしてみろ」
 必死の抵抗虚しく、僕ははぁーっとしてしまった。
 その瞬間母の中では何かが確信に変わったようで、その背中からは地獄に蠢く魑魅魍魎もかくやと思われるオーラが漂った。
 僕の心はライオンに狙われたインパラのように恐怖にうち震え、仲間たちへの協調は尻尾を巻いて逃げ出した。
 有り体に言えば、こっぴどく叱られたのである。
 
 こうして9歳の僕は禁煙に成功し、その後高校生になるまで只の一度もタバコをくわえたことはなかった。
 
 

シリアルキラー 2

 f:id:yuki-g-freak:20180221093859j:plain小学生になっても、僕は相変わらず図鑑ばかり読んでいたし、生き物への興味は尽きていなかった。もちろん、前述した通り遊びの対象としての興味である。
 
 幼児期には昆虫がメインだった遊びと言う名の殺戮行為は、少年期に移るに従い、しだいに爬虫類、両生類がメインになっていた。
 
 カエルの皮の剥きかたを覚えたのは2年生くらいのことで、それまでは一人でしていた殺戮も、複数の仲間と行うようになっていた。
 「あのなあ、カエルはなあ、足の根本に切り込み入れたら、そっから皮むけるんやで」と、仲間に説明しながら、生きたままカエルの皮を剥く。皮を向いたカエルは中の内臓が透けて見えるので、これが肝臓でこれが胃で...と考えるのが楽しくて仕様がなかった。これは紛れもなく知的好奇心の発展で、只殺すのではなく、仕組みを観察するというプロセスが加わった結果であった。
 
 そういった遊びを行うのは大抵樹上で、その木の窪みを使って、僕たちは生き物たちをペースト状にしていた。窪みの中に虫やカエルを入れて、木の棒で潰しながら掻き回す。そして、そういった行為は、今思えば仲間内での承認を欲する行為に他ならなかった。行為が残虐であればあるほど、仲間内では評価が高かった。そしてその年の詩の授業で書いた僕の詩のタイトルは「生きている」であり、無益な殺生の愚かさを痛烈に批判したものだったが、一体どんなつもりで書いたのか当時の自分に問いたい。
 
 ちなみに「生きている」は教育委員会に認められ、日高郡の詩集に掲載された。
 
 ある日、近所の茂みで僕はヘビを見つけた。1メートルは下らない大きなシマヘビだった。
 僕はヘビの尻尾をつかんで、西部劇の投げ縄の要領でブンブン振り回し、その勢いで地面に叩き着けた。したたかに地面に打ち付けられたシマヘビはたちまち動きが鈍った。
 僕は、力無く抵抗するヘビの頭をコンクリートブロックの上に乗せて、右手に持った石でヘビの頭を思い切り叩き飛ばした。
 ヘビはまだ動いている。そして首の切断面から、ビィーっと皮を剥いだ。
 ヘビは動かなくなった。身が美しい薄ピンクで、少し美味しそうだと思った。
 腹のなかを見てみると、薄い黄色で細長い楕円形の物体がいくつか連なっていた。卵だ。僕は何故かぎょっとして、不思議な感覚に襲われた。ばつが悪いような気持ちになった僕は、変わり果てたヘビとその子供たちを土に埋めて、石を重ねて墓標のようなものを作った。

 その夜、僕はヘビの夢を見た。内容は覚えていないが、ヘビの夢だった。悪夢にうなされ目を覚ましたのは、その夜が初めてだった。

 幼い好奇心に、罪の意識が芽生えた瞬間だった。

シリアルキラー 1

f:id:yuki-g-freak:20180219184503j:plain 幼児期から少年期においての、人の知的好奇心というものは、それはもう残酷なもので、生命の倫理などは全く発現の兆しも無く、ただただそれに従うのみである。
 
 幼児期の僕は、それはもう狂ったように生き物や虫や恐竜の図鑑を読んだ。あんまり図鑑とにらめっこばかりするので、保育所の先生は僕のために新しい図鑑を買ってくれたりした。それくらい、生き物に興味があったし、僕の頭の中の広大な草原では、昼夜を問わず、生き物の異種格闘技が繰り広げられていたりもした。
 
 当時はちょっとした庭のある平屋に家族で住んでいて、その庭は4歳くらいの僕が冒険するには十分な広さだった。
 
 ある日、いつものようにお気に入りのワニの模型を片手に庭に出た僕は、庭土に転がっている大きい石をよいしょ、とめくった。そこが団子虫たちの楽園だと知っていたからだ。
 
 団子虫ほど、幼児のおもちゃになる虫は居ないだろう。つっつくと身を守ろうとして団子になる様がかわいらしいし、掌で転がしたりなんかしても十分楽しい。
 
 そのようにしてひとしきり遊んだ後、僕は半開きになっているワニの口に、団子虫たちを無理やり押し込んで、自身の手でもってそれを咀嚼させた。ワニの鋭い牙に押し潰された団子虫は、みるみるうちに元の姿を留めなくなり、僕の興味が尽きる頃には完全なペーストと化していた。
 
 僕はその行為に何の罪悪も感じてはいなかったし、むしろ、ワニにエサをやることに喜びを感じていた。当時、僕の生き物に対する興味は、他の幼児の例に漏れず、現実であれ空想であれ、只の遊びの道具としてに過ぎなかった。  
 そして、その遊びに知的好奇心が付与され、何の罪もない生き物に対しての残虐非道な仕打ちは、それから数年後、小学生という悪魔によって執行されることになる。        
                    続く