死に至る病

面白いこと何も言えません

たばこ

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 多くの肉食動物は、生まれて日の浅い内から、兄弟や親を相手にじゃれ合って遊ぶ。まだ小さくて愛くるしい毛玉のような物体がころころと揉み合っている様子は、なんとも形容し難い可愛らしさがある。 
 しかしこれは来るべき自立の日に備え、遊ぶことによって狩りの訓練をしているのである。当の動物たちにその自覚は無くとも、積み重ねてきた狩猟種族の本能が、彼らにそうさせるのだ。
 ヒトにおいてもまた、本人に自覚はなくとも、少年期に興じる遊びというのは社会性を育むための、いわば訓練と言って差し支えないだろう。少年期に家という名の巣に込もって勉強ばかりさせていては、その個体の動物的能力が大きく損なわれると僕は思う。
 
 ただ、その訓練の内容が必ずしも理に敵っている訳ではなく(ちょうど、生き物を解体し磨り潰す行為のように)、むしろ、理に敵っている遊びなんぞはほぼ行わない。そして、その間違った、何の利益も意味もない行為というのは小学生の僕にとって、甘美な誘惑の坩堝だった。
 
 
 当時、川辺西小学校の校庭には、至るところに破けたコンドームが落ちていた。別に、小学生同士の青姦が流行っていたわけではない。
 僕たちのグループは、何処かで盗んできたコンドームに水道水をたっぷり入れて口を縛り、水風船として遊んでいた。
 普通の水風船は水を入れても、そんなに伸びはしないし、少し硬い気がする。それに比べコンドームは、想像のはるか上を行く、凄まじい伸縮性と柔軟性を見せる。目一杯水を入れたそれを掌の上に乗せると、まるで指の間からでろぉおっと漏れるような気がするほどだった。そして、先の一ヵ所だけピョコンと飛び出したような形状なのは何故だろうと、無垢な疑問を抱いたりもした。

 
 四年生の頃、僕たちは近所の橋の下を基地にしていた。
 その日僕たちは、下に流れている川で捕まえたモクズガニを、田んぼに重ねてあったワラで焼いて食べていた。火をつけられると言うことは当然、僕たちはライターというシロモノを所持しているわけで、ライターを所持しているということは当然、たばこを嗜んでいた。
 その日も、仲間の一人がポケットから、例によって何処かから盗んできたたばこをとりだし、僕を含めた他数名はそれぞれ一本ずつ手にとり、口に運んで火を着けた。
 たばこを調達してくる彼は下級生ながら信じられないほどのヘビースモーカーで、タバコの有害物質のせいなのか、その顔面の皮膚は怪しく黒ずんでいた。ちなみに彼の自画像は、白目が黒くて黒目が赤いという、並の感性では到底表現し得ない常軌を逸したもので、その背景に劣悪な家庭環境を想像せずにはいられない人物であった。
 
 僕はというとたばこに対する依存は皆無で、それは(下級生の彼は別として)他の者もそうであるはずだった。少年たちがたばこを吸うのは、誰からともなく発生する同調圧力と、大人に対する憧れとが混在した結果であり、たばこというツールを用いて自分たちの結束を確かめあう行為に他ならなかった。
 少年たちはしばしの間、自分たちだけの世界で恍惚を貪り、それぞれがそれぞれの巣に帰っていった。
 
 その日の夕方、家に帰った僕に母親が、「なんかケムリ臭いなあ」と言った。当然だ。大量のワラでカニを焼き食ったのだから。
 母はいぶかしげな顔をして、「お前、はぁーってしてみろ」と言った。
 
 まずい!焼きガニが墓穴を掘った。そう思った僕は、背に腹は変えられないと、これはタバコの匂いではなくワラを燃やした匂いなんだよと、必死の釈明をした。たばこを吸うよりも、カニを焼くことの方が罪が軽いはずだ。
 「いいからはぁーってしてみろ」
 必死の抵抗虚しく、僕ははぁーっとしてしまった。
 その瞬間母の中では何かが確信に変わったようで、その背中からは地獄に蠢く魑魅魍魎もかくやと思われるオーラが漂った。
 僕の心はライオンに狙われたインパラのように恐怖にうち震え、仲間たちへの協調は尻尾を巻いて逃げ出した。
 有り体に言えば、こっぴどく叱られたのである。
 
 こうして9歳の僕は禁煙に成功し、その後高校生になるまで只の一度もタバコをくわえたことはなかった。